村上智彦先生の思い出 「全力少年」の生き方
アラフォーが、20歳のころの体重に戻ろうキャンペーンをしてみた
4月1日のわたし 5月24日のわたし
突然ですが、この2か月ほどダイエットをしておりました。無事、目標の体重まで絞れましたのでその感動をどこかに記しておきたく、この記事を書いている次第です。
どーでも良い、と思われたでしょうか、日記みたいなものなのでご勘弁を・・・
わたし、今年で40になります。
まあ、だからというわけではないのですが、おなかも出てくるし顔は丸くなる。いちおう体重には気をつけてきたものの、毎朝体重計に乗って測ることもなくなっていました。自分の腹回りを触って、うすうす「増えてんだろうな…」とビクビクしていたわけです。
今から2か月前のこと。出張先のホテルで大浴場に入っていたとき、ふと浴場の鏡にうつった自分の裸が目に入りました。普段は鏡の前に自分をさらすとき、ついついシュッとしようと体に力を入れてしまうので良く見えていたのですが、思いがけず見えてしまった「本当の自分」は随分とだらしない感じになっていました。これはいかんなあ…。とちょっと悲しくなったわけですね。
とはいえダイエットしよう!と思っても、この年になると色々と忙しい。運動をする時間もないし、食事制限もストレスたまって難しいし・・・。とか思っていると踏ん切りがつかないわけです。
そんなこんなでウジウジしていたときに、ふと思いついた。
「40歳になる前に、20歳のころの自分の体重に戻ってみよう」
なりたいのは「ベストのころの自分」
自分的に、体調とか外見上とか、もろもろベストだったのは、たぶん20歳のころだろうと思っています。
それより太ったことも、やせたこともありますが、どちらも今から写真を見てみるとなんとなくイケてない。20歳のころの写真を見ると、しょせんは自分ですから限界はありますが、生まれ持った範囲内でなんだかキラキラしていたなと思うわけです。
およそ20年が経過したいま。そのころに時計を巻き戻せるはずはないけれど、せめて体重だけでも戻れたとしたら…
ワクワクするかも!!
(40歳 → 20歳 でキリもいいし。)
急にやる気がわいてきました。
よくよく考えると、ダイエットは「体重」を落とすのが目的では「ない」ですよね。それは手段であって、「病気の予防」とか、「もっとイケてる自分」とか、叶えたい願いがあるからこそ、やせたいと思うわけです。
(自分的に)イケてたころに戻りたいというのは、その時代をいちどは経験したからこそ鮮烈にイメージできます。だからこそ、「何キロを目指そう」とか、「わたしの年代の平均体重は●●キロだから、そこまでは落とさなきゃ」っていう感じの数字を追うより、ワクワクできる動機になったのかもしれません。
仕事の忙しさが、むしろ助けになる
というわけで勝手にはじめたひとりダイエット。まず現在の自分を把握すべく、おそるおそる体重計に乗ってみますと・・・。(具体的な数値は控えますが)20歳のころと比べて、およそ6キロ増。当時の体重から、およそ10%増です。
あのころの肌の張りとかキラキラした目とかを措いておいて、だいたい自分の10分の1くらいの「何か」を抱えてしまっているわけですから、そりゃあ丸くもなるよな…。と思って愕然としたわけですが、とりあえず6キロ減を目指すことにしました。
とはいえ仕事も忙しく、色々やると長続きしないので、やったことは2つだけ
・食事を制限する(特に糖質)
・毎日体重を測る(記録はしない)
朝ごはんはセブンイレブンの五目野菜をゆでたものと、サラダチキン。
昼は社員食堂やコンビニで、サラダ。
夜ご飯はこれまでの2分の1程度に。
毎朝体重を測り、減っていれば「頑張ったね」と自分をほめ、増えていれば「やっぱまずかったか・・・」と反省する。その毎日を続けていきました。
書いていくと面倒そうですが、ルーチンにしてしまうと思ったほどのことでもなく、むしろ、「腹減った」を軽減してくれるのは仕事。仕事でトラブルなんてあると、空腹を感じているヒマもないですからね。
「20代のころの服」が着られた!!
そんなこんなで1か月ちょい。だいたい4キロほど減ったところで停滞期が訪れます。あんまり食っていないつもりなのに、なぜか減らない。
一番挫折の危険となるときですが、そんなときに、タンスの隅っこに肥しのようになっていた、20代のころのジーンズを見つけました。
あのころの収入から見たら分不相応だったお値段のダメージジーンズ。細身のジーンズをはいて、さっそうと外に出ていたなあ・・・。穿けなくなって随分経つけど、これってイケるもんですかね
おそるおそる足を通してみると・・・。
おお、穿けるでないか
あのころの服が、着られるようになった!!
というのは、ぶっちゃけ嬉しいもんです。
そしてその服を着て外に出ると、そのころの気持ちに戻るというか、ついついちょっと長めに歩いてみたくなる。そういえばあのころ。目的地に着くのにわざわざ遠回りして、知らなかった場所や町の風景を見ることが嬉しかったなあ・・・。そんな気持ちが改めて湧き上がってきます。
(私だけかもしれませんが)人間ってもしかすると、けっこう単純なものなのかもしれません。その当時の服には、当時の思いや生活がしみついている。それに肌を触れることで、そのときの暮らしが自然と蘇ってくる・・・なんてという考えは、夢見がちすぎるでしょうか。
20歳の体重に戻った記念に、20代のころの服を着てみた
というわけでなんとかかんとかモチベーションを維持し続けることができた結果、今週、20歳のころの体重に到達。
それから4日間、リバウンドなく体重をキープしていますので、まあ当時の体重にもどったといっても良いのではないでしょうかと思いこの記事を書いています。
こちらは冒頭にご紹介した、ダイエット前後の写真。
右側は、せっかくだから上から下まで20代のころの服装にしてみた結果です。
・・・、うーん、ぶっちゃけ無理ありますね。若作り感はんぱない。
でも、まあいいんです。自分的には満足。この2か月、ワクワクして過ごすことができました。
まとめでもないんですけど、とにかく、ダイエットってなかなか第一歩を踏み出しにくいですし、続けにくいものではないですか。
(わたしのように、「やせたいけどその一歩が踏み出せない」という人間にとってはということです。「簡単にダイエットできる」「別にダイエットしたくない」「そもそもする必要ないし」という人もいると思います。)
そんなとき、明確にイメージできる(&ワクワクできる)「何か」をきっかけにしてみるとうまくいくのかもしれない。
「50歳だから、25歳の体重に戻ろうとしてみた」
「30歳だから、さすがに15歳の体重はやりすぎなので、20歳の体重に戻ろうとしてみた」
どんなものでも良いと思います。
ダイエットに、「義務感」ではなく「ワクワク」を。
そういうふうな気持ちになれる方法がたくさんあれば、いまなかなか一歩を踏みきれない人たちが、ちょっと幸せな方向にがんばれるために必要な「一押し」になるのではないか。そんなことを思いついたのでこの記事を書きました。
すみません個人の体験で偉そうなことを申しまして。
自分はこうやってダイエットした!!もっとワクワクできる方法がある!というアドバイス、もしいただけましたらコメント欄に頂戴できれば幸甚です。
大切なことを伝える
おお!明日(というか今日)は年に1度の東大の講義だった。やばい準備しきれてねえ。というわけでこの時間です。
東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻(専門職大学院) 医療コミュニケーション学分野
※コミュニケーション(伝える力)は、ときに手術や薬と同じように、何かを変えることができる
※常に「誰を幸せにしようとしているか」を心に留めて発信
※職種を超え、みんなで楽しく悩み議論し続けよう
わたし普段、酒飲んでくだらないことばかり言っている人間なのですが、なんでか我慢してお付き合いくださる人たちの御蔭で、どうやらこういうことが大切なんだと、おぼろげながら気が付くことができつつあります。
私の50~500倍ほど優秀な東大の博士課程のみなさんに、くだらないなりに自分が気付きえたことをお伝えして、みなさんが将来、「誰かを幸せにしてえ!」と思ったときの「引き出し」になることをお伝えできたらいいな。いいな。がんばるぞ。
「予防をきちんとしない人は医療保険を使うべきではない」というのは正しいか?
BLOGOS編集部のツイッターによれば、一昨日ヤフーで出したオバマケアの解説記事が、きのうの人気記事1位だったらしいです。
【昨日の人気記事1位】
— BLOGOS編集部 (@ld_blogos) 2017年5月9日
話題の「オバマケア」何が問題? (市川衛)https://t.co/lY5VEKs9ol [経済] #blogos
なんで?と思ってちょっとググってみたら、BLOGOSさんが告知頑張ってくださったのと、BLOGOSの記事がNEWSPICKSにピックされ、それが閲覧増につながった流れもあったみたいですね。
多様なかたに読んでいただけて本当に嬉しい限りです。
ただNewsPicksのコメントを読んでいてちょっと気になったのが、堀江貴文さんからいただいた以下のコメント。(もちろん、わたしみたいな人間の記事に、真摯なコメントをくださったことだけでも畏れ多いことということは理解しつつ)
国民皆保険はいい事だと思ってる日本人が多いが私はそうではないと思っている。まず、病気になっても格安で治してもらえると思うから予防に力を入れない。これは予防を軽視している人は保険が使えないようにすればよい。が、おそらく医師会などが猛反発してそうはならない。もう一つは特に高齢者や生活保護受給者が薬を貰いすぎる問題。そしてあまりにもカジュアルに病院に行ってしまう風潮を作り出している。この辺を解決しないといけない。
「予防を軽視している人は保険が使えないようにすればよい」という、いわゆる「自己責任論」は一見正しそうに見えるのですが、過去の研究から考えると、おそらく思ったような効果(健康増進や医療費の抑制)は出ない可能性が高いです。
そのあたりは、ハーバードの津川友介先生の見事な考察がありますのでぜひ。
健康に対して経済的なインセンティブを与えることは、格差を広げてしまうリスクがあるだけではなく、そもそも健康増進につながらないので、二重の意味であまり好ましい政策ではない
健康の責任を個人に求めること(自己責任論)の問題点 – 医療政策学×医療経済学
堀江さんはいま予防医療の啓発に力を入れておられて、それがゆえのお言葉だと思うのですが、患者・市民に対してインセンティブ(もしくはディスインセンティブ)を与えて健康を実現しようという努力は、これまでの取り組みではなかなかうまくいっていない、というのが正直なところのようです。この方法で健康を実現しようと考えるのであれば、制度設計においてかなり精緻に工夫しなければならなそうです。
誤解があるといけないので強調しますが、予防医療に力を入れることは、病気になる人を減らし、社会全体の幸せを実現するという意味で素晴らしいことです。堀江さんのような著名な方が、そこにお力を入れてくださるのは、とても素晴らしいことです。
でも、「やりたくない人には罰を与えたほうが社会全体の利益になる」などの、過去の研究ではむしろ否定されている考えをもとに行うと、良かれと思って進めたことなのに、本来望んでいた結果が達成できなくなってしまうかもしれません。
予防医療については、期待感が強い分、残念ながら少し誤解されている部分もあると思います。自分なりにさらに深く取材して、また何らかのアウトプットにつなげたいと考えています。
雑記07/05/2017
連休最終日。
目覚めて寝床の脇のスマホに手を伸ばし、公開予定のヤフー個人の原稿を最終チェックする。
オバマケアの改廃案が米下院を通過したとのニュースが話題になっていた。
でも、「そもそもオバマケアってなんだろう」とか、「なぜ見直すんだろう」とか、「それを知ることが、自分にとってどんな役に立つのだろう」とかの、本当に基本的な疑問。ニュースには、おそらくは字数の制限で言及されないそんな疑問にもしも補助線を引けたなら、それを知ることの意味をもっと深くわかってもらえるんじゃないだろうか?(なぜなら自分自身が何の専門家でもなく、そんな基本的なことも知らないからなのですが)
そんなことを思い、一昨日・昨日と発熱にうかされながらもチマチマと調べ、書いた記事です。
連休最終日にこんなにクソマジメでイヤになるほど長文の記事。誰も読んでくれないんじゃないか…、と思いつつアップ。でも、自分なりには満足できる内容になってよかった。あとは、たった1人でも読んでもらえたらいいな・・・。
と、思っていたらいつのまにかヤフーさんがトピックに選んでくれた。ありがたい。
コメント欄、ツイッターなどでいただく反応、一つ一つ参考になる。賛同していただけるもの、ご批判くださるもの、どれも意見だ。記事にも書いたけれど、「正解」はないのだと思う。極端に流れることなく多様な意見をお互いに聞くことで、いまより1mmでも「より良い」道を探せたら良いなと思う。難しいことだけれど。
連休のなかで自分に課していたDutyをいちおう達成できて少し気持ちが良い。来週以降は仕事も忙しくなるし、学会や講演、講義も控えている。気合入れていこう!!
雑記05/05/2017
昨晩、発熱。39度近くまで上がる。
インフルエンザかと思うが迅速診断キットでは陰性。だるいのでとにかく寝ていると、早朝、かなり体調が改善してきた。
インフルエンザじゃないのに、こんなに発熱することってあるのかな?と思って少し調べてみると、ある医師がツイッターで次のようにつぶやいていた。
この冬から春にかけて、1日だけ高熱が出るけど次の日インフルエンザの検査しようと思って受診したらすっかり解熱して元気になって、念のためインフル検査するけどもちろん陰性で「そういうカゼなんだね〜」で終了、という患者さんがインフルエンザと同じくらいの数いた。そういうウイルスなのだろう。
— kamekura@エグゼイド聴診器作った (@kamekurasan1) 2017年5月2日
私の状況と、完全に合致する。なるほど、「そういうウイルス」なのかもしれない。
体調も改善してきたということで、たまった原稿仕事を仕上げようとする。
「空気調和・衛生工学」誌から頼まれていた特集原稿10000字。ずっと心のなかにトゲのように刺さっていたが、今日こそ仕上げるぞ。
FBメッセージで、勝手に「盟友」と思っている友人より連絡。相変わらずの高き志に感銘を受ける。
つらつら原稿を書いていたら13:00近く。急いで身支度をして銀座へ。
「メディアと医療をつなぐ会」で知り合った齋藤益子先生(宮崎県立看護大学)と銀座「木曽路」で会食。私のようなものにも丁寧に接してくださる人柄に恐縮する。8月に宮崎で「日本思春期学会」の学会長をされるとのこと。ご自分のところで事務局をされているとのことで、こまごましたご苦労について伺う。思春期学会のいまのトピックは「10代の自殺」ということで、自分のテーマにも近いし、取材したい。
昼食を終えて家に戻り、午前の続き。
メールあり。去年制作した番組のデータを利用した論文の査読修正の問い合わせが共著者(ファーストオーサー)より。お忙しいところ、本当にありがたい。わかる範囲で答えられることを、すぐさま返信。
夕食前に学会誌原稿完成。画像のキャプション、英文概要、プロフィールなどこまごました部分も書けて一応完成。締め切りは来週なので、連休明けにもう一回じっくり読んで送ろう。
やっと仕事が自分のスケジュールに追い付いてきた。連休中に、ヤフー個人の記事を1つでも書けると楽になるのだけど・・・。
「社会保障費の増大」みたいな他人事を、どうしたら「自分ごと」にできるのでしょうか
地道に続けている連載の、最新号が発行されました。
今回は自分自身、本当に悩んだ内容でした。
社会保障費の増大のなかで、根本的に医療福祉のシステムを変えざるを得なくなる時代がくるのは避けようがありません。
だとすると、それを「誰かのせい」と思って不満を募らせるより、「自分ごと」と捉えてよりよく受け入れる道を探ったほうが得なんじゃないかと、素人なりに思っています。
その考えはしかし、どうしても「共感」を得られにくいものです。どうすればそのアイデアを、共感を持ってお伝えできるのだろうか、迷い迷いながら書いたものです。良かったら下記リンクからお読みくださいませ。ご意見、ご叱咤下さったら幸いです。
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