医療の「翻訳家」を目指して【市川衛】

医療・健康の難しい話を、もっとやさしく、もっと深く。

「認知症になると、人格は消えるのか?」自分なりに考えたこと

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認知症になると、人格は消えてしまうのでしょうか?

 

たとえば認知症の原因となる病のひとつ「アルツハイマー病」になると、記憶力が低下してしまいます。場合によっては、配偶者や子どもなどの親しい家族の顔を見ても、その名前がわからなくなってしまうこともあるかもしれません。

 

それまで積み重ねてきた人生の素晴らしい経験や、愛しい人との記憶も失われてしまう。私という人格そのものも、消え去ってしまうのでしょうか?

 

当事者ではない私にとって、本当のところは、わかりません。

 

でも、ほんの少しでも、その疑問を考察するヒントを探したい。5年ほど前、そう思って取材をし、番組と本にまとめたことがありました。

 

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先日、友人から「母親が認知症になり、少しずつ、以前と変わってきている気がする。どうしたらいいんだろう?」という相談を受けました。

 

いつも自分のことより、他人のことばかり考えている友人。

 

大切なお母さんの今後にどれだけ心を痛めているだろうかと想像すればするほど、何を言っても嘘くさいものになってしまいそうで、うまく答えることができませんでした。

 

どうしようかどうしようかと思い悩み、結局したことは、5年前に書いた本を贈ることでした。

認知症になっても、消えない記憶がある

例えばアルツハイマー病になると、記憶力が衰えるというのは聞いたことがあると思います。でも、「衰えやすい記憶と、衰えにくい記憶がある」ということは、あまり知られていないことかもしれません。

 

衰えてしまいやすいのは、「言葉にできる記憶」です。

例えば「昨日、リンゴを買った」というような、できごとに関する記憶。

例えば「この顔の人は、●●さんである」というような、意味に関する記憶。

私たちが記憶といった場合にすぐ思いつくのは、上記のようなものかもしれません。

 

でも記憶の中には、言葉に出来ないものがあります。

それこそが、認知症になっても衰えにくい記憶です。

 

たとえばその一つは「手続き記憶」というもの。

 

自転車に乗った時のことを、想像してみてください。

 

たとえ10年間、自転車に乗っていなかったとしても、サドルに腰かけペダルを回した瞬間に、うまくバランスをとることができます。でも、どのようにしてバランスをとっているかを言葉で説明することはできません。

 

また、「時速10km以下のとき、ペダルを何回転くらいにしておけば、バランスをとりやすいの?」と問われると、言葉にして答えることができません。(正確に言えば、とても困難です)

 

こうした、言葉にできない記憶は、認知症を引き起こす病にかかってしまったとしても、衰えにくいことがわかっています。

 

言葉にできない記憶は、たとえ病になったとしても残り続ける。世界中で過去に行われた研究により繰り返し実証されているという、その事実を知ったとき。

 

とつぜん私の中に、取材でお話を聞かせていただいた、あるご夫婦の姿が流れ込んできました。その映像が浮かんだ瞬間に、いままで迷いながら調べ、色々な人にお話を聞かせていただいた内容が、ひとつにつながりました。

その瞬間のことを忘れてしまわないように、どうしても何かにとどめておきたくて、夢中で本を書きました。

 

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長々とすみません。

友人に、「この本を贈ろう」と思い至ったことをきっかけに、久しぶりに読み返してみて、あのときの気持ちを思い出しました。

 

自分の文章を引用するなんて、キモイにもほどがあることはわかっているのですが、勇気をもってその内容を、下記に記録しておきたいと思います。よかったら、お読みくださいませ。

 

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写真は、私が取材の時に、お二人に「記念撮影をさせていただけませんか」とお願いして撮らせていただいたものです。

落ち着いた時間を取り戻したご夫婦。渥子さんが阪田さんの腕をとり、二人で写真に収まっています。

 

どちらも、とても素敵な笑顔をされていると思いませんか?

 

ご夫婦の取材を終えてのち、仕事場でぼんやりとこの映像を見ているうちに、はたと気づいたことがありました。渥子さんの姿や表情が、あるものとそっくりなのです。

それは取材中に見せていただいた、何十年も前の夫婦の記念写真でした。腕を組み、ご主人のほうへちょっと首を傾けて笑うその姿は、白黒写真の中でほほ笑む、若かりし頃の渥子さんの姿と全く同じだったのです。

 

渥子さんが、記念写真を撮るときに無意識にとる姿勢や表情は、幸せな夫婦生活の証であり、渥子さんが生きてきた人生の証といえるものでしょう。

認知症によってさまざまな記憶が消えていくなかで、一時はこの証も消え去ったかに思えました。しかし、消えたわけではなかったのです。そのことに思い至った瞬間、私は認知症をめぐる大きな疑問の一つに解答を得た思いがしました。

 

その疑問とは「認知症になると、私という人格は消えてしまうのか?」ということです。私はいま、その疑問に対して自信を持って答えられます。

 

認知症になると人格が消える、というのは誤解です。

 

もし私が認知症になったとしたら。「私の名前は市川衛です」「3年前にこんなことをしました」ということは忘れてしまうかもしれません。

 

でも私が私の人生を歩んだことによって得た「私らしい感じ方」や、「私らしい行動」は残ります。

 

なぜならここまで述べてきた通り、それらを決定する大きな要素となる手続き記憶やプライミングなどは、認知症によって影響を受けづらいことがわかっているからです。
もしかしたら、そうした独自の感じ方や行動が病のダメージを受けても消えないのは、それが「人格」の本質だからなのかもしれません。

 

認知症になると性格が変わる、人格が消えると言われます。確かに場合によっては、もはやその人はいなくなった、人格は消えたとしか思えないような振る舞いをご本人がすることも少なくないかもしれません。

 

でも、さまざまな科学的な研究を取材した結果としても言えることは、認知症がかなり重度になったとしても、人格の本質的な部分は必ず残ります。

 

もしそれが感じられないとしたら、とても奥深くに隠れてしまっているのかもしれません。それを引き出せるかどうかは、周囲がその人のことをどのような視点でとらえ、どのような形で接するかということにかかっています。

 

とは言ってもその努力を、ただでさえ疲れている家族などの介護者に望むのは酷かもしれません。阪田さんも、経験を積んだスタッフの支えと助言があったからこそ、そうした部分に気づくことができました。

 

このあとの章では、介護をしている人の負担がどうしたら減るのか、そして、社会がどのように支えればよいかについても、具体的に考えていきたいと思います。

 

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長々と申し訳ありませんでした。

もしご興味を持っていただけたとしたら、下記の本を読んでみてください。

ご購入いただく必要はありません。至らぬ内容ですが、有難いことに、少なからぬ図書館に所蔵していただいているようです。

たまたま図書館に足を運ばれたとき、この題名で検索してみてくださったら、心からヨロコビます。ご感想などいただけたら、飛び上がります。

books.rakuten.co.jp