医療の「翻訳家」を目指して【市川衛】

医療・健康の難しい話を、もっとやさしく、もっと深く。

介護分野への外国人労働者の受け入れ -- 「台北駅」から学ぶメッセージ

来年4月に、外国人の単純労働者の受け入れが始まることが閣議決定されました。
想定されている分野の筆頭が「介護」です。

 

少子高齢化に伴う圧倒的な人手不足の中で、介護分野への外国労働者の受け入れは必須と考えられます。その一方で、様々な「摩擦」も生まれると考えられます。1991年に単純労働者の受け入れを開始している台湾のケースを先行例として十分に学ぶべきかもしれません。

 

参考になる記事がYahoo!ニュースで公開されています。

news.yahoo.co.jp

 

記事中の「台北駅」のエピソードは必読です。

少し長くなりますが引用します。

 

外国人労働者たちには週に1日の休みがある。日曜日になると、手製の自国料理などを持ち寄って、お昼前ごろから中央のロビーの広大なスペースに陣取って夕方まで延々と語り合い続ける。この光景をみて「なぜ、駅当局は追い出さないのだろうか」と疑問が湧く人がいるかもしれない。

台北駅は「他の乗客に迷惑がかからない形であれば、特段、排除するような措置はとっておりません」と言う。駅の利用者たちも気にした様子はなく、その脇をよけながら歩いている。

この状況に至るまでにはちょっとした経緯もあった。

2008年、台北駅に集まっている外国人について、地元紙が「ロビーが占拠された」とネガティブに報じた。それに対して、「排斥的な報道はよくない」といった批判が集まり、駅側もロビーにあったベンチを取り払うなど、外国人が集まりやすいように配慮した。

私が驚かされたのは外国人が高齢者を連れてきていることだ。要介護の人々からは目を離すことができない。休日とはいえ、家族が介護できないこともある。その場合、外国人が高齢者を同胞の集まる場所に連れてきて、面倒をみながら楽しいひと時を過ごしているのである。

 

こうした動きや意識こそ、「社会的包摂」を実現させるために必要なことと言えるかもしれません。

社会的包摂 - Wikipedia

 

日本の東京駅で同じことがあれば。。。同じ動きが起きるでしょうか?

むしろ「外国人労働者・東京駅を占拠」とセンセーショナルに報じられ、批難が殺到。外国人労働者への退去が命じられる。。。昨今の状況を見ていると、そうした未来予想図のほうを現実的に感じてしまいます。

 

そのような排除の論理が働いたとき、外国人労働者はどう考えるでしょうか。もっと寛容な意識がある台湾などに行って働こうか?と日本を見捨ててしまうでしょう。

 

すなわち、国籍なども含めた多様性に対する「寛容さ」は、現状なんとなく多くの人がイメージしているかもしれない『多数者が少数者に対して施す「思いやり」的なもの』では全くなく、むしろ、日本社会全体が今後持続できるかどうかを決定づける要素と考えるべきなのかもしれません。

 

その認識が今後、日本社会に浸透していくか?

そのことが重要なポイントになると個人的に感じました。