「急に具合が悪くなる」宮野真生子・磯野真穂 読書感想
さいきん、なんども読み返したい深く素敵な本に出会ってばかりで、なんとも読書が進まない。。。
いま読んでいるのはこちら、磯野真穂 Maho Isono さん著の「急に具合が悪くなる」
がんを抱えた哲学者・宮野真生子さんと、文化人類学者である磯野さんの往復書簡を書籍化したもの。
宮野さんの病状が悪化していく中で、それぞれがそれぞれの書簡で問いを発し、思索を深め、ときに横道にそれながら「偶然性」というものの意味へと話が深まっていく。
全体として「がん」をテーマにしているものの、語られる内容は非常に幅広い。というか、医療そのものを語っていない時間のほうが長い。
クライマンの3つのセクターや、アザンデ人の妖術や、恋愛や広島カープや、不幸と不運の違いや、物語にからめとられることへの怒りなど、いろんな要素が絡まりあうように紡がれていく。
ところで、この本を読み進む時間は自分にとって、残酷なものでもあった。
例えば、ともすれば僕は、物事をきれいに合理的にまとめて安心したくなる。「エビデンスをもとに合理的に判断を」とか「代替療法より標準治療を」とかいう「正しさらしきもの」に陣取って、代替療法を選ぶ人のことを「愚かだ」と切って捨てるような態度に流されそうになる。
読み進めていくうちに、そんな自分の持つ「浅さ」に、いやおうもなく気づかされていく。背中に脇に、冷や汗が流れる。これまで偉そうにわたしが発した言葉が、とんでもない間違いを含んでいたのかもしれないと。
人間はそもそも、望んだわけもいないのに生まれ、しかも、いつか死んでしまう運命を知っているのに生きている。考えてみればとてつもなく非合理な存在だ。そんな存在だからこそ、ときに不合理な考えに身を寄せてみたり、他者の合理的すぎる態度に傷ついたりする。それは愚かだからではなく、人間だからだ。
一方で、だからこそ人間は合理性の鎧をまといたくなる存在でもある。データを調べ、よりよい選択をしようとする。それができない存在を、見下そうとする。そうして、本当は絶対に否定できないはずの偶然性を、否定したくなる。
しかしこの2人の思索は、最終的に、その自分たちが抱えるどうしようもない偶然性そのものが、この世の美しさというか、生きている意味かもしれないと位置付けた(と、わたしは感じた)。
ーー
まだ消化しきれていないけれど、わたしが感じたのはそんなこと。
同い年で、友人でもある磯野さんが、こんな素晴らしい本を書けることに、率直に言ってジェラシー。つまり嫉妬。
しかし一方で、誇らしい気持ちもする。自分にはとうてい生み出しえない作品を書いた人が知り合いとは、なんと光栄なことでしょう!
良い嫉妬、というものはこの世に存在するものです。
というわけで「急に具合が悪くなる」本当にお勧めです。
装丁からは全く医療書って感じがしないかもしれないけれど、医療の現場にいて真摯な思いを抱えて取り組んでいる人にこそ読んでほしいと思う本です。