ことばのもつ「力」について ~「人生会議」ということばから考えること
古来より「言霊」と言われるように、「ことばの持つ力」というのは、たぶん通常イメージするより遥かに強いです。
人の行動を変え、争いを引き起こし、ときに生死にかかわることだってあります。
例えば「人生会議(ACP)」ということば。
人生会議(ACP)とは
「自分の価値観や大切にしていることを、家族や医療者などと繰り返し話しあっておくこと」
なのでしょうか。それとも
「自分の望む死に方を書面に残しておくこと」
なのでしょうか
答えは、前者です。
後者はAD(事前指示書)とかDNR(蘇生措置拒否)とかと呼ばれるもので、ACPにいたる歴史的な過程で生まれてきたものです。もちろん、現在でも一部では有効な考え方です。
そのくらい、医療者なら知っているよね?と思うかもしれませんが、実は臨床の現場にいる人でさえ、ACPに至る歴史的な経緯に知悉しているとは限らないというのが、わたしの取材実感です。
ともすると「人生会議(ACP)って、要はDNRのことでしょ?」というふうに誤解している人もいるかもしれません(これは私個人の印象です。偉そうで本当に申し訳ありません。)
たとえば救急医療の現場にいる人が、「蘇生措置を希望するかどうか(DNR)、みんな書面に残しておいてもらわんと本当に大変なんだよ!」と思う気持ちはとってもわかりますし、共感できます。
しかし、それは人生会議(ACP)とは、ちょっと定義上(っていうか目的)からして違うものかもしれません。
根本に誤解があるままで議論をすると、批判の応酬となり、意見がかみ合わず、分断が広がってしまいます。
だからこそ、「言葉狩り」だと批判されるかもしれませんが、私は、言葉の正確な定義にはこだわるべきだと思っています。
すみません長文で。先日の記事の取材の過程および公開後にいただいた反響を通じて、個人としていま感じていることをお伝えしようと思いました😊
以上はにわか勉強である私の理解なので、間違っているところがあったらぜひ教えてください🙏