医療の「翻訳家」を目指して

医療ジャーナリスト 市川衛です。医療・健康の難しい話を、もっとやさしく、もっと深く。

座間の事件の実名報道について、自分なりに考えたこと

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19のいのち ー障害者殺傷事件ースクリーンショットより

 

 座間の事件の被害者のご遺族が「本人及び家族の実名の報道(中略)一切お断りしています」と貼り紙をしたにも関わらず、被害者の方の実名を挙げて貼り紙のことを報道した記事に批判が集まっていることについて、考え続けています。

 

 わたしもマスコミに属している人間の端くれとして、何か事件があった時に実名を報道する意味は知っています。
 それは事件の悲惨さや、それが問いかけているものについて伝えたいと願うからです。被害者が名もなき人ではなく、かけがえのない人生を歩んできた「存在する人」だと示すことで、その事件の持つ意味を多くの人に知ってほしいからです。

 

 でも、今回のように遺族が明らかに実名報道を望んでいないとき。あえてどうしても、その手段をとらなければならないのでしょうか。

 『その事件のもつ「意味」を伝える』ことが本来の目的だとすれば、それを別なやりかたで実現する道はないのでしょうか。

 

名前を出さなくても、「意味」を伝える

 

 たとえば去年7月に、19人の命が奪われた「津久井やまゆり園」の事件がありました。その際、ご遺族の要望もあったということで、被害者のかたの実名は報道されませんでした。

 

 なぜ「やまゆり園」は実名報道されず、座間の事件はされているのか。それについても考えなければならないと思います。

 

 でもとにかく、色々な議論を経て「実名報道しない」という結論になったとき。それで終わりでしょうか。だとしても、その事件がもつ「意味」を残すことはできないのでしょうか。亡くなった方は「名もなき人」ではなく、ひとり一人がかけがえのない人生を歩んだ存在だったということを示せないのでしょうか。

 

 その問いの回答を、見事に示したサイトがあります。

www.nhk.or.jp

 

 わたしはこれって、すごいことだと思います。ネットやSNSが存在する前であれば、こういう表現方法はあり得ませんでした。つまりいま「表現手段」が多様化しており、それを総動員することで、「ご遺族のお気持ちに寄り添いつつ、本来の目的を果たす」ことができる時代になりつつあるのです。

 

 今後のマスメディアに求められるのは、その多様化した手段を用いて、より当事者の気持ちに寄り添いつつ、「目的」を果たす方法を死ぬ気で考える、ということかもしれません。大変ではありますが、いっぽうでワクワクする挑戦のような気もします。

 

 とはいえ、「そんなキレイゴトことを言っても、読まれてなんぼだよね」「これってコストかかるし、ペイしないよね」という意見もあると思います。それに反論できる強さも理論もわたしは持っていませんし、正直言って、そういう論理にときに流されてしまうこともある自分です。

 

 でも、少なくとも「これって本当にまっとうなことなんだろうか」「手段が目的化していないだろうか」と考え続けることだけはしなければならないと思います。

 

 迷い迷いながらでも、考え続けます。