3団体に、バースデードネーション(誕生日寄付)を行いました
昨日10月13日、43回目の誕生日を迎えました。
誕生日だってのにあまりにも忙しくて、せっかくご推薦いただいた団体への寄付が遅れてしまいましたが、本日無事、3つの団体に寄付を行うことができました。
SNSなどで誕生日寄付の贈り先を募集したところ、なんと14団体ものご推薦を頂きました。
「毎月寄付している」
「ヘアドネーションをしている」
などなど・・・、寄付文化が薄いと言われる日本ですが、こんなに誰か知らない人のために善意を届けている人がいるのだなと思って感激しました。
14団体すべてに寄付をしたいのですが、貯金も限られているため(笑)3団体を選ばせていただき、寄付を行いました。金額は、まあ、私にできる精一杯ってことで・・・
主な事業:大阪市の鶴見緑地公園内にあるTSURUMIこどもホスピスの運営
生まれつき重度の障害を抱えている子どもや、重い病を患っている子どもとその家族たちがその人らしく豊かに過ごしていただくための施設です。
・一般社団法人 小さな命のドア
主な事業:妊娠・育児に悩みを抱える女性とその子どものための相談窓口の運営
思いがけない妊娠で途方に暮れている女性や
もう育てられないと育児で思い悩み、追い詰められた女性のためのドアです。
・NPO法人 親子の未来を支える会
主な事業:「胎児ホットライン」運営
楽しみにしていたいつもの妊婦健診で、赤ちゃんの病気が突然告げられたとき。妊婦さんはもちろん、パートナーや赤ちゃんの祖父母にあたる方も、悩み、戸惑い、苦しむでしょう。そんな方達を独りにせず、支えになる場所、そして、どうやって支えるかを知れる場所をつくりたい。そんな想いでスタートしました。
今年のテーマは「次世代への支援」でした。
すべての団体のHPに目を通させていただき、あえて全国組織ではなく、(比較的)小規模で、深刻な悩みを抱える人のお役に立とうと取り組まれているところ(もちろん、どこも取り組まれているのですが)を選ばせていただきました。
よかったら上記3団体のHP、ご覧になってみてくださいませ。
寄付先を推薦下さったみなさま、本当にありがとうございました(^^)
今年も「バースデードネーション」を行います!(2年連続2回目)
あっというま!に今年も10月を過ぎました。
10月13日(火)はわたしの43回目の誕生日です。なんと、もう不惑も超えてけっこう経ってしまいましたね。。。何やっているんだか。。。
さて、これはさびしがりや男の「祝ってほしいアピール」である面も否めないですが、それより大事なのは、去年から始めている「バースデー・ドネーション(誕生日寄付)」です。
簡単に言えば、この1年健康で無事に過ごせたことのお礼として、誕生日に、誰かを支えるために活動している人にわずかばかりでも寄付をしたいなと。
そこで、このページを読んでくださっている皆様へのお願いなのですが、
寄付をすべき団体を、ご推薦いただけないでしょうか?
今年のテーマとしては、「次世代への支援」としたいと思っています。
ヘルスケアに関わらず、赤ちゃん~20代の世代への支援を行っている団体で(小さなお子さんを抱える親御さんへの支援や、不妊治療・里子制度などへの寄付も、もちろん含みます)、みなさまが普段、ご活動を応援したいと思っているところを教えていただけないかと。。。もちろんご活動されている方が自薦いただいても構いません。
コメントでいただいても結構ですし、市川のメッセンジャー、DM、メールにいただいても幸いです。
mamoruichikawa@gmail.com
非常に恐縮なお願いなのではありますが、もしちょっと教えてやってもいいかな?と思われた方はご連絡くださいませーいちおう、締め切りは10月12日(月)いっぱい(わたしの誕生日前日)とさせてください
ご反応いただけるかな。。。ドキドキ。。。
ちなみに、こちらは去年の誕生日寄付について。後半に記載があります。
日本ヘルスコミュニケーション学会に参加
今日は日本ヘルスコミュニケーション学会第12回学術大会に参加
自分の発表テーマは「新型コロナ:研究と実践報告」
座長の中山健夫さんと奥原剛さんの暖かなコメントをいただき、他のみなさまのご発表もいちいち学びになることが多く、ついつい質問を繰り返し、楽しい時間を過ごさせていただきました。
個人的に最も心に残ったシンポジウム
「やさしい日本語」
「SDM(シェアードディシジョンメイキング)」
「医療者のアツすぎる想いは、だいたい空回り」(※意訳)
全体の発表傾向も見るに、今年のトピックは「医療健康情報のアクセシビリティ」になっていた気がしました。すなわち障害や言語的な壁を抱える人にも、どうすれば情報が理解しやすくなるのかを考えた取り組みや技術の開発が、今後少なくとも数年の流れになっていくような気がしています。
なお・・・こんなことを言うのは分不相応と思いつつ、学会に参加してちょっと違和感
せっかく座長が「質問をお願いします」と求めているのに、誰も手を挙げず、じゃあ、といって座長が質問するケースが多々見られました。
せっかく質問を求められているんだから、空気とか読まずに思い切って発言しよう。
発言することを目標にすれば、死ぬ気で他人の発表も聞くようになるのだから。そうじゃなきゃ、中心メンバーだけが好きに語っている現状が変わりません。
せっかく学会がオンライン化して、誰もが発言の機会を持ちやすいフラットな空気ができているんだから。
恥ずかしがらずに質問しよう。できないなら、質問できるようになろうと思って死ぬ気で勉強しよう😊
#コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト 報告書公開しています
いつのまにか1か月以上更新していなかった。
元気にやっています。
#コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト
この2か月くらい、いろんな人の助けを受けながら、コツコツと進めてきたプロジェクトの報告書がついに公開されました(公開されたのは8月17日ですが)
全文公開しています。膨大な内容ですが、良かったら読んでみてくださいませ
(リンクからダウンロードもできます)
NHKニュースでも取り上げてもらいました。
うれしいよう。
コロナでなぜたくさんの人が身動きを止めざるを得なくなっているのか。それはウイルスの動きやリスクが「見えない」からではないでしょうか。見えなければ不安が募り、前に進めなくなってしまいます。
それを少しでも「見える」ようにして、音楽を愛する人が前に進めるようにできないか、そんな思いのもと、医療職やプロジェクトマネージャー、研究者、空調のプロ、そして全国のトップ演奏者たちなど、様々な人が信じられないようなドリームチームを組んで取り組みました。
誰かの挑戦を支えるために、それぞれの専門性を持ち寄って取り組む。こんな事態がなければ起きえない、奇跡みたいなことだと思います。
私の担当は、実験のデザインや実験リソースのコーディネート、データ管理、報告書の分担作成などなど。。。音楽オンチだって、できることはあるのだ。
まずは形にしたので、あとはどう普及させるか。
もっと頑張んなきゃ。
ドラマ&ドキュメント「不要不急の銀河」
昨日放送された
ドラマ&ドキュメント「不要不急の銀河」
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2020072321089
いやー、すごい番組でしたよ。
自分が撮影に関わったことや、制作した組織に属することを100%抜きにして、いまこそ見られるべき番組と思います。
井上監督、本当にすごい。あのカットが、こう使われるのか。複雑な文脈を絡めて行って、最後こんな風に気持ちよく開放するのか、そして最後まで声高には語られないメッセージを「感じてもらう」ことへのこだわり。勉強になることばかりです。
いま、この事態にもっとも傷ついているのに、もっとも顧みられていない人たちへの「愛」がある。不確かな現実を、それでも生きていかざるを得ないわたしたちへの愛がある。
クサいでしょうか。クサいですね。
でも、感染対策を徹底するにも、経済を回すにも、その根底に「愛」がなければ、届かないと思うのです。うまくいかないと思うのです。そして愛は、必死で叫ばなければ伝わらないものだと思うのです。
番組の最後に、この番組に関わったすべてのスタッフの名前をテロップする粋な演出を見ながら、そんなことを感じました。
良かったら見てみてください。
NHKプラスから見逃し配信中です。
スマホやPCから、およそ1週間、見られます。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2020072321089
#コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト
本日、プレスリリースが出ました
「#コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト」
全国のクラシックオーケストラや吹奏楽などの団体、医療者や研究者、楽器メーカーなどがタッグを組み、コロナ下で適切な安全管理をしながら、音楽文化を「前に進めていく」ことを目的としたプロジェクトです。
NHKは過去培った、可視化技術や人脈を含めたノウハウを用いて協力します。プロジェクトによる検証の過程を報道することで、透明性を高めたり、得られた知見を全国の愛好家や音楽を愛する学生のみなさまが使えるようにしたりすることに役立つかもしれません。
(まだ、始まったばかりなので、先は全く見えませんが。)
「分断と距離」が目に付く日々です。
でも、音楽聞いたり、歌ったり楽器演奏したりするときって、それこそ距離を越えて感動を共有できたりするものではないですか。(ぼくはまごうことなき素人なので何の説得力もありませんが)
そういう感動を届けられる人たちや、その共有を待ち望んでいる人たちに、お役に立てる取り組みになったらいいなあ。
というわけでコツコツがんばります
(そればっかりやね^^)
「科学の言葉」と「感情の言葉」の橋渡し
【近況報告・長文です】
みなさま、いかがお過ごしですか?
私は最近は、いわゆる芸術文化(演劇、ドラマ、オーケストラ、吹奏楽など)の練習や公演をいかに再開していくか、そのガイドライン作りとか、根拠となる実験をどうデザインするかとか、その実験器具をどこから借りてくるのかとか、協力してくれる研究者にどうお声をかけるのかとか、そんなことに仲間と共に日々奔走しています。
「ていうかお前、テレビディレクターでしょ?なんでそんなことやっているの?」と言われるかもしれません。
いや、もちろんこれらの取り組みはそのうちに、何らかの形でテレビ番組になって人の目に触れることになっています。たぶんね。
しかし確かに、僕が20年前に「テレビ番組のディレクターさん」となんとなくイメージした人とは、ずいぶんかけ離れた立ち位置に来てしまった気がします。
何をやっているかと言えば、橋渡しです。
事業を主催する側は、少しでも安全に、出来ることを増やしたい気持ちが働きます。だからこそ「これさえすれば大丈夫?」という質問をたくさんしたくなります。そこには不安の気持ちもあります。なので、「感情」の立場にいるといってもいいかもしれません。
その質問を受ける専門家は、「これさえすれば大丈夫」ということは存在しないことを知っています。リスクをゼロにすることは、人間が生活をする限り不可能です。なので、「リスクは少ないですが、大丈夫とは言い切れないかもしれません」という正しい言葉を選びたくなります。それが「科学」の立場です。
この2つにはギャップがあります。専門家が「大丈夫とは言い切れないかもしれません」という表現をしたときに、それを聞いた人は「あ、だめなんだ」と思ってしまうかもしれないのです。
そんなコミュニケーションのすれ違いの結果、やっていいはずのことができなくなったり、必要がほとんどない過大な対策を実現するための労苦をだれが負担せざるをえなくなったり、逆に、どうしても必要な対策がおろそかにされてしまったりすることが、本当にあるのです。
そのコミュニケーションのギャップを埋める「翻訳家」がいたほうが良いのではないだろうか?
わたしは、芸術文化の世界ではまごうこともなき「ニワカ野郎」ですし、医療の世界でも、資格もなくちゃんとした専門教育をうけたこともなく、ただただ「合間」でフラフラしてきた人間でしかないのですが、それゆえに不安を抱える人の気持ちも、良かれと思って科学の言葉を発する人の気持ちもわかる部分があります。なので、「橋渡し」という意味では役に立つ部分があるのかもしれないと思うようになりました。
演劇とか
ドラマとか
コンサートとか
ライブとか
すべての芸術文化は、それが人間として幸せに生きるために必要だから生まれ育まれ引き継がれていったとなんとなく思うんですよね。(ぼくほどの芸術オンチも余りいないと思いますが)
この事態において、安全との良いバランスを持って、この文化の営みを止めないため何かをしたいという真摯な志をもつ人たちの間を、橋渡しとなることで前向きにものごとを進めていけたらいいなあ。
その結果として音楽に感動したり喜劇に爆笑したり、素敵な演技に共感し涙を流す風景がもどってきたらいいなあと。(当分は、マスクしつつかもしれないですけれど)
というわけで、お目汚し失礼しました。ときたまに投下する、深夜のテンションの投稿
スミマセン。
まあ、いま自分にできることを、コツコツやっていくよ。一緒にやっていきましょ